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ゴールデンスランバー – 伊坂 幸太郎

書評

ゴールデンスランバー

著者:伊坂 幸太郎

出版社:新潮社( 2007-11-29 )

価格:¥ 1,680

ハードカバー ( 503 ページ )

ISBN-10 : 4104596035

ISBN-13 : 9784104596034




今更という感じですが、人生初の井坂幸太郎の著作を読んだ。
よく言われる井坂節や井坂エッセンスは2冊目以降で味わうとして、小説としての構成は流れが流暢というか一定のテンポで、ポイントポイントに置かれる岩山をうまく避けながら進む紙船のように進む。

何か大きなものに追われる逃亡型のサスペンスで、仙台でパレード中の首相が、ラジコンヘリに仕掛けられた爆弾で暗殺される。友人から容疑者にアメリカのケネディ大統領を殺害したとされるオズワルドのように冤罪を着せられていると警告が発せられる。第一部「事件のはじまり」、第二部「事件の視聴者」は、テレビで暗殺事件の報道を見ている視聴者たちの視点。第三部「事件から二十年後」は、事件のその後を語る、ノンフィクションライターの視点。


後半に出てくる、容疑者青柳と元カノの切れ端での文通は、本書の最も重要なメッセージ


「俺は犯人じゃない。青柳雅春」
「だと思った。」


この2つの会話で、この小説は語れる。


監視社会への警告、親子の絆、どうやら人間が本来的に守ろうとする防衛本能というものはあるらしいが、もし何か大切なものを守ろうとするとき、親子間、友人間、恋人間、その間にある防衛力を見事に書ききった小説ではなかろうか。

容疑者の父親は、執拗に追い回すマスコミに対し、はっきりといった。


名乗らない、正義の味方のおまえたち、本当に雅春が犯人だと信じているのなら、賭けてみろ。金じゃねえぞ、何か自分の人生にとって大事なものを賭けろ。おまえたちは今、それだけのことをやっているんだ。俺たちの人生を、勢いだけで潰す気だ。



犯罪は、自分だけでなく自分の家族まで加害者ファミリーとして仲間入りさせてしまうのであって、1つの犯罪は連鎖的に負を産み出す。それを理解したうえで犯行に及ぶべきだと、誰かが言ったのを思い出した。


井坂ファンになる理由がよくわかる一冊。

【書評】パチンコ裏物語 -阪井すみお

書評

パチンコ裏物語

著者:阪井 すみお

出版社:彩図社( 2010-07-16 )

価格:¥ 620

文庫 ( 224 ページ )

ISBN-10 : 4883927482

ISBN-13 : 9784883927487





パチンコ店は、意外となぞが多い。私も始めてパチンコホールに足を踏み入れたとき、そして出玉が出たときの違和感は今でも覚えている。

どうして、出玉を金の入ったプラスチックケースと交換するのだろうか?そして、それをもらって喜ぶものではなく、それを店の近くの景品交換所で現金と交換することで初めて勝ちを味わえる仕組み。

パチンコホールで、怖い思いをしたことはないが、著者の体験はあまりほめられたものではない。
よくも、何年も同じような苦い経験をしながら働けたものだと感心する。

ゴト師なんて、過去の遺物かと思っていたが、平成の世でもはびこっているようで、彼らとの対決は見ものである。

ホールの従業員、ホールの店長、そしてオーナーとピラミッドがあるわけだが、店長にとって従業員は換えのきく駒のようで、今日面接明日出社のような世界だそうだ。

パチンコ屋のホールスタッフとして、誇り高く仕事をしている人はいるだろうが、この本を読んだ限りでは、明日の銭稼ぎ目的だけにみえてくる。

とはいえ、全てオートメーションすることも出来ないだろうし、ましてやパチンコ業界は衰退期にあるとはいえ相当規模のビジネスであることを考えると、必要不可欠な人材だろう。

本書に一貫しているのは、パチンコホールが思っているより精神的に不衛生であるといこと。のんきにタバコをすいながらパチンコをしているすぐ隣では、常にゴトを始めとしてお客さんと店員の間で戦争勃発の寸前にあるということ。

お客さんは、勝ちたいと思ってくるわけで、決してカラフルな電気信号を楽しみにくるわけではないので、負けた悔しさは目の前の店員に八つ当たりすることはベクトルとしては可能性はアリなんだ。


ただ、この本は業界に精通した人間の業界裏事情告発本というほどの質ではなく、ホールで働く従業員の実体験に過ぎない。なので、事実として断定されるのは、彼の実体験のみであるため、パチンコ業界を俯瞰できるものではない。
つまり、飲み屋で武勇伝を聞かされる気分で読むのが最もコストパフォーマンスが高い。

統計数字を駆使して業界をばっさりとはいかない点には注意。

とはいえ、パチンコがいかに勝てなく、いかに時間の浪費かと思わせられる一冊。

【論評】自粛から復興へのうねりは、本物か

日経デジタルマーケティングの5月23日の記事内に、「世相反映するツイッターに見る「自粛」から「復興」へのうねり」という記事があった。


世相反映するツイッターに見る「自粛」から「復興」へのうねり

ツイッター(Twitter)というミニブログを使ったコミュニケーションが震災直後に効果的だったことはよく知られたことだ。通信キャリアが回線パンクを回避するために、通信量を制限していたためほとんどの人が100回かけてつながるかどうか(70-90%カットしていた)の最中、Twitterを筆頭にオンラインコミュニケーションサービスはコミュニケーション手段として大いに役立った。

その影響もあって、Twitterはユーザー数を増やしており、著名人のアカウントも目立つようになった。
Twitterは、OnetoOneのコミュニケーションではなく、情報が拡散するところが目新しさがある。このブログ記事のようなものは、1人の投稿者と複数人の読者がいるが関係性は1:1である。一方のTwitterは、つぶやく1人は変わりないが、その情報伝播の力はブログよりも優れている。

さて、前置きが長くなったが、このTwitterによる震災後のつぶやき・投稿数の推移を分析したのが、記事の内容。

端的には、自粛というのが一時の盛り上がりを見せてその後は衰退するワードである一方で、その後盛り上がったのが復興というキーワードだったということ。それがまさに世相なんだと。


震災直後からツイッター上でも広がった自粛ムードは4月の1週目(4月1~7日)をピークに急速に沈静化。一方で復興機運はその後も高く、4月の3週目(4月15~21日)に震災後のピークを迎えた――。



この記事に気になる点があるとすれば、バイアス(偏り)があることだ。

    全ての投稿が肯定的とは限らない
    大きな事件や問題の後追いに過ぎない投稿も多い(つまり自己発信とは限らない)


自粛から復興へという流れは、何となく気持ちよく飲み込める話ではある。しかし、それが国民全体の中での共通理解なのかは、別問題だ。自粛をしないというよりは、自粛をしなくても大丈夫かな?という程度で、脱自粛への道を何とか歩いているのが大半ではないだろうか。

それに、自粛→復興へのステップには大きな障壁がある。それは、自粛は自分で何かを制限すれば成り立つが、復興には何かしらのアクションが必要だからだ。それは何かを制限するというだけではないし、加えて復興の当事者は被災地の方々だからだ。

自粛の投稿が減った、だから復興が増えたという因果関係は、ない。
それは、復興という投稿自体が減少傾向にあるのが、如実に物語っており、ツイッターだけではなく、ウェブサイト全体にも当てはまる。




これを見る限り、むしろTwitterとウェブ検索は若干のタイムラグはありつつも、ほぼ同じ傾向を辿っている。
全体の傾向としては、4月上旬をひとつの山としたら、あとは減少傾向にあるのだ。

きっと、もう自粛や復興というキャッチフレーズを声を大にする必要もなく、前進するのみだと、そう国民が決意したに違いない。











【書評】The Daily Drucker: 366 Days of Insight and Motivation for Getting the Right Things Done-Peter F. Drucker

書評

The Daily Drucker: 366 Days of Insight and Motivation for Getting the Right Things Done

著者:Peter F. Drucker

出版社:HarperBusiness( 2004-10-26 )

価格:¥ 1,205

ハードカバー ( 448 ページ )

ISBN-10 : 0060742445

ISBN-13 : 9780060742447




いわずと知れたドラッカーの格言集。
英語だが、難しい英語を使っているわけではないので、1日1話読むこともさほど苦にはならないだろう。

組織の中で働いているもの全ての人にとって、ドラッカーからの明快かつ洞察力に富んだお言葉は、身にしみるはずである。

「企業の社会的責任」について、こうある。


Social responsibility.

Good intentions are not always socially responsible.

A business that does not show a profit at least equal to its cost of capital is irresponsible; it wastes society’s resources. Economic profit performance is the base without which business cannot discharge any other responsibilities, cannot be a good employer, a good citizen, a good neighbor. But economic performance is not the only responsibility of a business any more than educational performance is the only responsibility of a school or health care the only responsibility of a hospital.
Every organization must assume responsibility for its impact on employees, the environment, customers, and whomever and whatever it touches. That is social responsibility. But we also know that society will increasingly look to major organizations, for-profit and nonprofit alike, to tackle major social ills. And there we had better be watchful, because good intentions are not always socially responsible. It is irresponsible for an organization to accept – let alone to pursue – responsibilities that would impede its capacity to perform its main task and mission or to act where it has no competence.



意図がよくとも責任を果たしたことにはならない

資本コスト以上の利益をあげられない企業は、社会的に無責任である。社会の諸資源を浪費している。利益とは、それがなければ他のいかなる責任も果たせず、よき雇用者にも、よき市民にも、よき隣人にもなれないというものである。
だが、経済的な成果だけが企業の唯一の責任ではない。同じように、教育上の成果だけが学校の唯一の責任ではない。医療上の成果だけが病院の唯一の責任ではない。
組織なるものは、従業員、環境、顧客、その他何者に対してであれ、自らがかかわりをもつあらゆるものに対して与えるインパクトについて責任がある。それが組織の社会的責任である。
くわえて社会は、社会の病そのものに取り組むことも求める。ただし、この点に関しては慎重でなければならない。意図がよくとも社会的責任を果たしたことにはならない。本来の目的を遂行する能力を傷つけるような責任を受け入れたり、買って出たりすることは無責任である。能力のない分野で行動することも無責任である。




今回の原発問題にも、国の責任、民間組織(電力会社)の責任の責任論が盛り上がっているが、原発を作り安定供給し、経済成長を後押しするという意図は崇高であるが、その先にある責任はどう取り扱われるのか?

一義的な責任は、電力会社にあることは否定されないだろう。しかし、震度リスクの範囲をどこまでカバーすべきだったかどうかは、国が決めるべきであろう、そして国の指針にしたがって開発・運用していたのであれば、国が責任を持つことは自然ではないだろうか。

もし、純粋な民間企業であれば、リスクとリターンを計測して投資評価をするのは当たり前で、仮に起きる確率がほとんどゼロに近い不測の事態を考慮し、それを上回るリターンは消費者に転嫁されることになっていただろう。
リスク判断をどこかで足きりする事に対して、責められるのか疑問である。

組織に社会的責任はつきものである一方で、権限と責任は表裏一体ははず。
今回の原発問題にも、どこまで電力会社に、どこまでが国家に権限があったのかを明確にすれば、その裏にある責任も明確になるはずである。


【書評】スパイと公安警察-ある公安警部の30年-泉修三

書評

スパイと公安警察-ある公安警部の30年

著者:泉修三

出版社:バジリコ( 2009-01-07 )

価格:¥ 1,680

単行本 ( 269 ページ )

ISBN-10 : 4862381227

ISBN-13 : 9784862381224




公安警察というのは、極左団体、右翼団体、外国諜報機関の諜報活動、国際テロリズムなどを捜査する部隊であるようだ。
市民の安全を守るお巡りさんとは若干違って主に国家の治安・体制を脅かす事案、若しくはそういった事態につながる可能性がある事案に対応するようだ。

この公安警察に30年携わった著者の半生を綴った本書は、生々しくも自意識に溢れた回顧録として読める。

国家に忠誠した警察官の仕事への執着心は、脱帽する。
たったひとつの情報(例えば部屋番号を知る)を得るために、数日張り込むのはザラにあるといい、そんな情報が何に役立つのか分からないような情報をかき集めてひとつの事実、証拠を作り出す様は曲芸のようにみえる。

本書を、公安警察のノンフィクションとして読むと少し物足りないかもしれない。
ただ、素人の私としては防諜活動と諜報活動の違いが分かっただけでも、読んだ甲斐があった。

ちなみに、
防諜(Counter-intelligence)は、諜報戦にて、敵のスパイ活動に対抗し、無力化することにあるようだ。日本だと、本書の警察庁警備局外事情報部、USのFBI、ロシアのFSBなどが担っている。
一方で、諜報は情報を収集する側であり、それが非合法だとスパイ活動になるようだ。CIAやKGBがそれを担っている。


本書は、第三者が書いた実態ではないので、本人と事件との関わりにとどまる。なので、ドラマでいうクライマックスの途中で話が終わってしまうことが多々ある。たとえば、事件の結末を「知らない」「末端の人間には知らされていない」などと結末付けるので、小説のようなものとして読み進めると、一番重要な部分が抜け落ちていることには注意が必要。

ただ、公安警察の緊迫した情報合戦を襖の隙間からこっそり覗いているような気持ちで読むと、スリリングな本であることは間違いない。
そして、日本の安全が、このような人たちの高い忠誠心と執着心によって守られているのは事実である。各種レビューでは、公安警察自体への批判や、著者への批判もあるようだが、あくまでも回顧録であり客観的なノンフィクションではないことははしがきから分かっていることなはず。

普段の生活ではほとんど知られることのない公安警察の日常業務が、飲み屋で語られるかのような調子で読める一冊。




ちなみに、本書は電子ブックとして販売されています。(AppStore)

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