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【書評】パチンコ裏物語 -阪井すみお

書評

パチンコ裏物語

著者:阪井 すみお

出版社:彩図社( 2010-07-16 )

価格:¥ 620

文庫 ( 224 ページ )

ISBN-10 : 4883927482

ISBN-13 : 9784883927487





パチンコ店は、意外となぞが多い。私も始めてパチンコホールに足を踏み入れたとき、そして出玉が出たときの違和感は今でも覚えている。

どうして、出玉を金の入ったプラスチックケースと交換するのだろうか?そして、それをもらって喜ぶものではなく、それを店の近くの景品交換所で現金と交換することで初めて勝ちを味わえる仕組み。

パチンコホールで、怖い思いをしたことはないが、著者の体験はあまりほめられたものではない。
よくも、何年も同じような苦い経験をしながら働けたものだと感心する。

ゴト師なんて、過去の遺物かと思っていたが、平成の世でもはびこっているようで、彼らとの対決は見ものである。

ホールの従業員、ホールの店長、そしてオーナーとピラミッドがあるわけだが、店長にとって従業員は換えのきく駒のようで、今日面接明日出社のような世界だそうだ。

パチンコ屋のホールスタッフとして、誇り高く仕事をしている人はいるだろうが、この本を読んだ限りでは、明日の銭稼ぎ目的だけにみえてくる。

とはいえ、全てオートメーションすることも出来ないだろうし、ましてやパチンコ業界は衰退期にあるとはいえ相当規模のビジネスであることを考えると、必要不可欠な人材だろう。

本書に一貫しているのは、パチンコホールが思っているより精神的に不衛生であるといこと。のんきにタバコをすいながらパチンコをしているすぐ隣では、常にゴトを始めとしてお客さんと店員の間で戦争勃発の寸前にあるということ。

お客さんは、勝ちたいと思ってくるわけで、決してカラフルな電気信号を楽しみにくるわけではないので、負けた悔しさは目の前の店員に八つ当たりすることはベクトルとしては可能性はアリなんだ。


ただ、この本は業界に精通した人間の業界裏事情告発本というほどの質ではなく、ホールで働く従業員の実体験に過ぎない。なので、事実として断定されるのは、彼の実体験のみであるため、パチンコ業界を俯瞰できるものではない。
つまり、飲み屋で武勇伝を聞かされる気分で読むのが最もコストパフォーマンスが高い。

統計数字を駆使して業界をばっさりとはいかない点には注意。

とはいえ、パチンコがいかに勝てなく、いかに時間の浪費かと思わせられる一冊。

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【書評】スパイと公安警察-ある公安警部の30年-泉修三

書評

スパイと公安警察-ある公安警部の30年

著者:泉修三

出版社:バジリコ( 2009-01-07 )

価格:¥ 1,680

単行本 ( 269 ページ )

ISBN-10 : 4862381227

ISBN-13 : 9784862381224




公安警察というのは、極左団体、右翼団体、外国諜報機関の諜報活動、国際テロリズムなどを捜査する部隊であるようだ。
市民の安全を守るお巡りさんとは若干違って主に国家の治安・体制を脅かす事案、若しくはそういった事態につながる可能性がある事案に対応するようだ。

この公安警察に30年携わった著者の半生を綴った本書は、生々しくも自意識に溢れた回顧録として読める。

国家に忠誠した警察官の仕事への執着心は、脱帽する。
たったひとつの情報(例えば部屋番号を知る)を得るために、数日張り込むのはザラにあるといい、そんな情報が何に役立つのか分からないような情報をかき集めてひとつの事実、証拠を作り出す様は曲芸のようにみえる。

本書を、公安警察のノンフィクションとして読むと少し物足りないかもしれない。
ただ、素人の私としては防諜活動と諜報活動の違いが分かっただけでも、読んだ甲斐があった。

ちなみに、
防諜(Counter-intelligence)は、諜報戦にて、敵のスパイ活動に対抗し、無力化することにあるようだ。日本だと、本書の警察庁警備局外事情報部、USのFBI、ロシアのFSBなどが担っている。
一方で、諜報は情報を収集する側であり、それが非合法だとスパイ活動になるようだ。CIAやKGBがそれを担っている。


本書は、第三者が書いた実態ではないので、本人と事件との関わりにとどまる。なので、ドラマでいうクライマックスの途中で話が終わってしまうことが多々ある。たとえば、事件の結末を「知らない」「末端の人間には知らされていない」などと結末付けるので、小説のようなものとして読み進めると、一番重要な部分が抜け落ちていることには注意が必要。

ただ、公安警察の緊迫した情報合戦を襖の隙間からこっそり覗いているような気持ちで読むと、スリリングな本であることは間違いない。
そして、日本の安全が、このような人たちの高い忠誠心と執着心によって守られているのは事実である。各種レビューでは、公安警察自体への批判や、著者への批判もあるようだが、あくまでも回顧録であり客観的なノンフィクションではないことははしがきから分かっていることなはず。

普段の生活ではほとんど知られることのない公安警察の日常業務が、飲み屋で語られるかのような調子で読める一冊。




ちなみに、本書は電子ブックとして販売されています。(AppStore)

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【書評】アーロン収容所-会田 雄次

書評

アーロン収容所 (中公文庫)

著者:会田 雄次

出版社:中央公論社( 1973-01 )

価格:¥ 600

文庫 ( 244 ページ )

ISBN-10 : 4122000467

ISBN-13 : 9784122000469




戦後イギリス、いやイギリスの歴史を作り上げるイギリス民族の素地がここにある。
「人種差別など時代遅れだ」という人もいるだろうが、それは差別者と被差別者が差別を差別として認識できたときに限られる。




著者の会田雄次氏は、大学卒業後に大東亜戦争ビルマ戦線に送られ、戦火を生き抜いた。しかし大日本帝国は敗戦し、彼らは英国軍の捕虜としての生活が2年間続く。捕虜としての生活の場が、ラグーンにあるアーロン収容所であり、本書のタイトルでもある。

すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。


2年間の捕虜生活の後、この思いを胸に本書を書き上げた。

現代人は、イギリスに対し半ば全面的な賞賛をおくるのだろう。決してイギリスを忌み嫌うためにではなく、たった2世代前の事実を知るためだ。本書を読み終わった後、反イギリスになる必要はない。日本が行ったイギリス軍捕虜の虐殺を忘れてはいけない。

会田氏が受けた捕虜への扱いは、決して暴力的ではなく肉体的苦痛は無かったという。
これが意味するのは、英国紳士であるから英国淑女であるからというものではない。肉体的苦痛を与えるのは相手が人間だからである。英国にとって、アジア人の捕虜は人間ではなく家畜同然なのだ。

それが端的にあらわれるくだりは、

その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろを振り向いたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた。


同じ人間、異性としての扱いはそこにはない。犬が部屋に入って裸体を隠す必要があるのか?日本人とは、犬と同様なのである。家畜同様の捕虜に、羞恥心が芽生えるわけがない。

日本軍が英国軍に行った肉体暴力的な行いと、家畜同様の差別的扱いをする英国軍、どちらが残虐かという問題は民族性なのかもしれない。
相手を人間とみなし、戦勝国としての絶対的優越性をもって肉体的にも精神的にも苦痛を与えることに意味を見出す民族と、人間としての扱いをやめ動物と同じような扱いをもって精神的な苦痛を与える民族。
後者に至っては、意識的に行っていないのであればそれは最も残虐といえる。

会田氏も、「差別意識のない程徹底した差別」に対して烈火のごとく憤慨し、それが本書を書き上げる動機となっている。

残虐さの事例集という側面とは別に、
「戦争」という絶対的な環境が当時の人間にとってどれほど大きなものであったかを考えさせられるくだりもある。

かれは、ときおり私たちに何かと話かけようとした希なイギリス人の1人であった。(中略)
私たちの将校は、「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」という意味のことを言った。どのように通じたのだろうか。英軍中尉はきっとした態度をとって答えた。
「君たちは奴隷(スレイブ)か。奴隷だったのか」
(中略)
「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどにその信念は頼りなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者の機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだと思いたくはない。私たちは日本のサムライと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」


ただの反英国軍という体験や思いだけでは、本書は書き上げられなかったのではないだろうか。このようなハッとするような体験をし、イギリス軍人としての誇りを知ったからこその本書であある。
ただの憎悪だけではあれば、会田氏が京都大学の西欧史の教授の道を歩むことはなかっただろう。


真のヒューマニズムはイギリスには無かったという著者、日本人であれば誰しも何かしらの思いが湧き上がる一冊。

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【書評】なぜ君は絶望と闘えたのか-門田 隆将

書評

なぜ君は絶望と闘えたのか

著者:門田 隆将

出版社:新潮社( 2008-07-16 )

価格:¥ 1,365

単行本 ( 255 ページ )

ISBN-10 : 4104605026

ISBN-13 : 9784104605026



光市母子殺害事件の記録であり、被害者の夫・本村洋氏と司法との戦いの記録である。
タイトルにある君は、本村氏であり本村氏の9年間を記録したものである。

この事件は、2008年に死刑判決が出るまでの9年間、各メディアで大々的に取り上げられたため広く知れ渡っている事件であるが、1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害されたのが事件概要である。

この事件をきっかけに司法の壁は崩壊した。「永山基準」「相場主義」「前例尊重」で死刑判決を避けてきた壁は、被害者尊重、厳罰化の社会へと進んでいくことになる。

タイトルの「なぜ君は絶望と闘えたのか」、支援してくれる周りの人間や本村氏の強い執念に因るところであるが、根底にあるのはこの日本において、「死刑」が存置されているからであろう。

世界的に死刑廃止の潮流の中、日本では死刑という極刑がある。だからこそ、氏はそれを望むことが許された。存在するからこそ、闘い続け求め続けたのだ。

しかし、加害者は少年、少年法の保護下にある。ここが本村氏を苦しめた。

「早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」


「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」




復讐する権利は、司法が独占している。その司法は少年への極刑適用は過去の事例からして、永山基準からしてありえない。だから、本村氏は自ら命を絶つ覚悟で、自らの手で相手に死を求めた。

しかしこの発言の後、司法を改革していくことによって少年Fへの死を求めるようになっていく。

言葉は悪いが「殺す」から「殺してもらう」への態度の変化、そこから本村氏の死刑・司法との闘いが始まる。

本書では、一度は絶望した司法に再度委ねることとなり、そして最後に死を勝ち取った軌跡が事細かに記録されている。決して、叙述でも記述でもなく「記録」という言葉が当てはまる文章だ。小説的な文章にも見て取れるが、これはあくまで記録であって全てが事実なのだ。本村氏の内なる言葉も吸い上げられた文章は、記録として描かれているのだ。


「労働も納税もしない人間が何を言ってもそれは負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい」


このような胸の詰まるような言葉をかけてくれた上司の存在も忘れられない。
社会人でいることが、社会を動かすためには必要である。勤労の義務、納税の義務を果たしそこで初めて社会に発言できる、今の社会にずしりと重い言葉だ。

9年間という長い年月をかけて、地裁・高裁・最高裁と戦い抜き最終的に元少年への死刑判決を勝ち取った本村氏には脱帽するしかない。

一貫して論理的で整合的な言動を続ける本村氏、恐らく被害者であれば憎悪や悲しみの感情に流されてしまう中で、むしろ感情的になってしまったのは読者なのではないかと思わせるような本書である。

メディアに対して批判的意見もあるであろう本村氏にとって著者も元出版社メディア側の人間である。だがしかし、著者には語り、心を打ち明けている。著者の人間性のなせることだ。

そして最後に最高裁で差し戻され、広島高裁差戻し審にて死刑判決がでた。本書と同時に判決文も読んでみることを勧める。

なぜ、最高裁で差し戻されたのか。最後の一文にはこうある。

これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。



そして広島高裁にて、死刑判決が下された。

主 文
       第一審判決を破棄する。
       被告人を死刑に処する。


第一審判決は,公判審理を経るにしたがって,被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至ったものと評価できるなどとし,家庭裁判所の調査においても,その可塑性から,改善更生の可能性が否定されていないことをも併せ考慮して,矯正教育による改善更生の可能性がないとはいえないなどと判断し,無期懲役刑を選択したものであり ,差戻前控訴審判決は,被告人が,知人に対し,本件を茶化したり,被害者らの遺族を中傷するかのごとき表現を含む手紙を何通も書き送っていることを踏まえながらも,第一審判決の判断を是認したものである。両判決は,犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し,その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが,被告人は,その期待を裏切り,差戻前控訴審判決の言渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9か月間,反省を深めることなく年月を送り,その後は,本件公訴事実について取調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し,それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。被告人が,そのような態度に出たのは,20名を超える弁護士が弁護人となり,被告人の新供述について証拠との整合性を検討し,熱心な弁護活動をしてくれることから,次第に,虚偽の供述をすることによって自己の刑事責任が軽減されるかもしれないという思いが生じ,折角芽生えた反省の気持ちが薄れていったのではないかとも考えられないではない。しかし,これらの虚偽の弁解は,被告人において考え出したものとみるほかないところ,当審公判で述べたような虚偽の供述を考え出すこと自体,被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。


現時点では,被告人が,反省していると評価することはできず,反省心を欠いているというほかない。



遺族の被害感情は峻烈を極めていること,社会的影響も大きいことなどの諸般の事情を総合考慮すれば,被告人の罪責はまことに重大であって,各殺害の計画性が認められないこと,被告人の前科・非行歴,生育環境,犯行当時18歳になって間もない少年であること,精神的成熟度,改善更生の可能性,その他第一審判決後の事情等,被告人のために酌量すべき諸事情を最大限考慮しても,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも,極刑はやむを得ないというほかない。


(強調は筆者)


死刑廃止の世界的な流れの中で徹底した死刑存置の態度を一貫し、誰にも動かせなかった司法の壁を打ち破った。

著者は加害者Fに判決後に面会し、反省の声を聞いている。

死刑という刑罰があってこその反省、反省したところで変えられるものは何もない。
しかし、死刑という極刑に反省をさせる自浄作用があった。

死刑存置か廃止か、死刑を復讐の手段と考えるか反省の機会の提供と考えるか。考えさせられる一冊。




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【書評】死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う-森達也

書評

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

著者:森達也

出版社:朝日出版社( 2008-01-10 )

価格:¥ 1,680

単行本 ( 328 ページ )

ISBN-10 : 4255004129

ISBN-13 : 9784255004129




死刑制度「存置」あるいは「廃止」を著者と共に考えぬくための一冊。
存置だろうと廃止だろうと、死刑について徹底的に考え抜いたことがない私にとっては貴重な本である。身内が殺されたらきっと死刑を望むだろう、でも身内が誰かを殺したらきっと死刑を望まないだろう。そんなレベルでしか考えたことがない死刑。

考えても考えても、答えはでてくるかどうか分からない。

そして著者も同じであり、存置か廃止かの意思表明そしてその援護をする本ではなく、共に考えようというスタンスの本。だから読める。

ただ、死刑制度が廃止されようと存置されようとよりよい社会を実現させるための手段であることには変わりない。人が人を殺めることを社会として善とするかどうか、ただその選択だけなのだ。だから、本当は皆が自分で考えるべきなのだ。極刑を死刑としている日本、その国民である以上は決して思考を停止してはいけない、死刑について徹底的に考える必要がある。
しかし、死刑について秘匿されている事実が多すぎて考える材料が少ないのが日本だ。

そんな日本の中で、著者は3年の月日をかけて死刑囚,元刑務官,弁護士,被害者遺族,存置派,廃止派にインタビューしあらゆる感情・情緒をすくいあげていくが、率直に迷っている。焦点が定まらないような迷いではなく、揺りかごのような揺れなのだ。
結局、死刑当事者(遺族、加害者家族、本人、関係者)にでもならない限り、この揺れは収まらないだろう。読み終わっても著者と同じく揺れている。

しかし最後に著者は、揺れが収束するようになる。広島の死刑囚に面会した後の言葉。

「僕は彼を死なせたくない。なぜなら彼を知ったから。会ったから。会って話したから。」


これが本能なのである。副題にあるように、人は人を救いたいのだ。
どれだけ考えても、論理的であろうと、理論に立脚していようとこの問題の根底にあるのは、「感情」なのだ。

この素直な文章に至るまでの葛藤は著者にしか分からない。しかし、この最後の本能剥き出しの言葉は、そのまま受け止めたいと思う。

死刑について答えを求めず考える。この行為を始めるために全ての人が読み始めるべき一冊。








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