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【書評】アーロン収容所-会田 雄次

書評

アーロン収容所 (中公文庫)

著者:会田 雄次

出版社:中央公論社( 1973-01 )

価格:¥ 600

文庫 ( 244 ページ )

ISBN-10 : 4122000467

ISBN-13 : 9784122000469




戦後イギリス、いやイギリスの歴史を作り上げるイギリス民族の素地がここにある。
「人種差別など時代遅れだ」という人もいるだろうが、それは差別者と被差別者が差別を差別として認識できたときに限られる。




著者の会田雄次氏は、大学卒業後に大東亜戦争ビルマ戦線に送られ、戦火を生き抜いた。しかし大日本帝国は敗戦し、彼らは英国軍の捕虜としての生活が2年間続く。捕虜としての生活の場が、ラグーンにあるアーロン収容所であり、本書のタイトルでもある。

すくなくとも私は、英軍さらには英国というものに対する燃えるような激しい反感と憎悪を抱いて帰ってきたのである。


2年間の捕虜生活の後、この思いを胸に本書を書き上げた。

現代人は、イギリスに対し半ば全面的な賞賛をおくるのだろう。決してイギリスを忌み嫌うためにではなく、たった2世代前の事実を知るためだ。本書を読み終わった後、反イギリスになる必要はない。日本が行ったイギリス軍捕虜の虐殺を忘れてはいけない。

会田氏が受けた捕虜への扱いは、決して暴力的ではなく肉体的苦痛は無かったという。
これが意味するのは、英国紳士であるから英国淑女であるからというものではない。肉体的苦痛を与えるのは相手が人間だからである。英国にとって、アジア人の捕虜は人間ではなく家畜同然なのだ。

それが端的にあらわれるくだりは、

その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろを振り向いたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終わると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた。


同じ人間、異性としての扱いはそこにはない。犬が部屋に入って裸体を隠す必要があるのか?日本人とは、犬と同様なのである。家畜同様の捕虜に、羞恥心が芽生えるわけがない。

日本軍が英国軍に行った肉体暴力的な行いと、家畜同様の差別的扱いをする英国軍、どちらが残虐かという問題は民族性なのかもしれない。
相手を人間とみなし、戦勝国としての絶対的優越性をもって肉体的にも精神的にも苦痛を与えることに意味を見出す民族と、人間としての扱いをやめ動物と同じような扱いをもって精神的な苦痛を与える民族。
後者に至っては、意識的に行っていないのであればそれは最も残虐といえる。

会田氏も、「差別意識のない程徹底した差別」に対して烈火のごとく憤慨し、それが本書を書き上げる動機となっている。

残虐さの事例集という側面とは別に、
「戦争」という絶対的な環境が当時の人間にとってどれほど大きなものであったかを考えさせられるくだりもある。

かれは、ときおり私たちに何かと話かけようとした希なイギリス人の1人であった。(中略)
私たちの将校は、「日本が戦争を起こしたのは申し訳ないことであった。これからは仲良くしたい」という意味のことを言った。どのように通じたのだろうか。英軍中尉はきっとした態度をとって答えた。
「君たちは奴隷(スレイブ)か。奴隷だったのか」
(中略)
「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどにその信念は頼りなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者の機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだと思いたくはない。私たちは日本のサムライと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」


ただの反英国軍という体験や思いだけでは、本書は書き上げられなかったのではないだろうか。このようなハッとするような体験をし、イギリス軍人としての誇りを知ったからこその本書であある。
ただの憎悪だけではあれば、会田氏が京都大学の西欧史の教授の道を歩むことはなかっただろう。


真のヒューマニズムはイギリスには無かったという著者、日本人であれば誰しも何かしらの思いが湧き上がる一冊。

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【書評】なぜ君は絶望と闘えたのか-門田 隆将

書評

なぜ君は絶望と闘えたのか

著者:門田 隆将

出版社:新潮社( 2008-07-16 )

価格:¥ 1,365

単行本 ( 255 ページ )

ISBN-10 : 4104605026

ISBN-13 : 9784104605026



光市母子殺害事件の記録であり、被害者の夫・本村洋氏と司法との戦いの記録である。
タイトルにある君は、本村氏であり本村氏の9年間を記録したものである。

この事件は、2008年に死刑判決が出るまでの9年間、各メディアで大々的に取り上げられたため広く知れ渡っている事件であるが、1999年4月14日に山口県光市で発生した凶悪犯罪。当時18歳の少年により主婦(当時23歳)が殺害後暴行され、その娘(生後11カ月)の乳児も殺害されたのが事件概要である。

この事件をきっかけに司法の壁は崩壊した。「永山基準」「相場主義」「前例尊重」で死刑判決を避けてきた壁は、被害者尊重、厳罰化の社会へと進んでいくことになる。

タイトルの「なぜ君は絶望と闘えたのか」、支援してくれる周りの人間や本村氏の強い執念に因るところであるが、根底にあるのはこの日本において、「死刑」が存置されているからであろう。

世界的に死刑廃止の潮流の中、日本では死刑という極刑がある。だからこそ、氏はそれを望むことが許された。存在するからこそ、闘い続け求め続けたのだ。

しかし、加害者は少年、少年法の保護下にある。ここが本村氏を苦しめた。

「早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」


「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」




復讐する権利は、司法が独占している。その司法は少年への極刑適用は過去の事例からして、永山基準からしてありえない。だから、本村氏は自ら命を絶つ覚悟で、自らの手で相手に死を求めた。

しかしこの発言の後、司法を改革していくことによって少年Fへの死を求めるようになっていく。

言葉は悪いが「殺す」から「殺してもらう」への態度の変化、そこから本村氏の死刑・司法との闘いが始まる。

本書では、一度は絶望した司法に再度委ねることとなり、そして最後に死を勝ち取った軌跡が事細かに記録されている。決して、叙述でも記述でもなく「記録」という言葉が当てはまる文章だ。小説的な文章にも見て取れるが、これはあくまで記録であって全てが事実なのだ。本村氏の内なる言葉も吸い上げられた文章は、記録として描かれているのだ。


「労働も納税もしない人間が何を言ってもそれは負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい」


このような胸の詰まるような言葉をかけてくれた上司の存在も忘れられない。
社会人でいることが、社会を動かすためには必要である。勤労の義務、納税の義務を果たしそこで初めて社会に発言できる、今の社会にずしりと重い言葉だ。

9年間という長い年月をかけて、地裁・高裁・最高裁と戦い抜き最終的に元少年への死刑判決を勝ち取った本村氏には脱帽するしかない。

一貫して論理的で整合的な言動を続ける本村氏、恐らく被害者であれば憎悪や悲しみの感情に流されてしまう中で、むしろ感情的になってしまったのは読者なのではないかと思わせるような本書である。

メディアに対して批判的意見もあるであろう本村氏にとって著者も元出版社メディア側の人間である。だがしかし、著者には語り、心を打ち明けている。著者の人間性のなせることだ。

そして最後に最高裁で差し戻され、広島高裁差戻し審にて死刑判決がでた。本書と同時に判決文も読んでみることを勧める。

なぜ、最高裁で差し戻されたのか。最後の一文にはこうある。

これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。



そして広島高裁にて、死刑判決が下された。

主 文
       第一審判決を破棄する。
       被告人を死刑に処する。


第一審判決は,公判審理を経るにしたがって,被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至ったものと評価できるなどとし,家庭裁判所の調査においても,その可塑性から,改善更生の可能性が否定されていないことをも併せ考慮して,矯正教育による改善更生の可能性がないとはいえないなどと判断し,無期懲役刑を選択したものであり ,差戻前控訴審判決は,被告人が,知人に対し,本件を茶化したり,被害者らの遺族を中傷するかのごとき表現を含む手紙を何通も書き送っていることを踏まえながらも,第一審判決の判断を是認したものである。両判決は,犯行時少年であった被告人の可塑性に期待し,その改善更生を願ったものであるとみることができる。ところが,被告人は,その期待を裏切り,差戻前控訴審判決の言渡しから上告審での公判期日指定までの約3年9か月間,反省を深めることなく年月を送り,その後は,本件公訴事実について取調べずみの証拠と整合するように虚偽の供述を構築し,それを法廷で述べることに精力を費やしたものである。被告人が,そのような態度に出たのは,20名を超える弁護士が弁護人となり,被告人の新供述について証拠との整合性を検討し,熱心な弁護活動をしてくれることから,次第に,虚偽の供述をすることによって自己の刑事責任が軽減されるかもしれないという思いが生じ,折角芽生えた反省の気持ちが薄れていったのではないかとも考えられないではない。しかし,これらの虚偽の弁解は,被告人において考え出したものとみるほかないところ,当審公判で述べたような虚偽の供述を考え出すこと自体,被告人の反社会性が増進したことを物語っているといわざるを得ない。


現時点では,被告人が,反省していると評価することはできず,反省心を欠いているというほかない。



遺族の被害感情は峻烈を極めていること,社会的影響も大きいことなどの諸般の事情を総合考慮すれば,被告人の罪責はまことに重大であって,各殺害の計画性が認められないこと,被告人の前科・非行歴,生育環境,犯行当時18歳になって間もない少年であること,精神的成熟度,改善更生の可能性,その他第一審判決後の事情等,被告人のために酌量すべき諸事情を最大限考慮しても,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも,極刑はやむを得ないというほかない。


(強調は筆者)


死刑廃止の世界的な流れの中で徹底した死刑存置の態度を一貫し、誰にも動かせなかった司法の壁を打ち破った。

著者は加害者Fに判決後に面会し、反省の声を聞いている。

死刑という刑罰があってこその反省、反省したところで変えられるものは何もない。
しかし、死刑という極刑に反省をさせる自浄作用があった。

死刑存置か廃止か、死刑を復讐の手段と考えるか反省の機会の提供と考えるか。考えさせられる一冊。




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【書評】死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う-森達也

書評

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

著者:森達也

出版社:朝日出版社( 2008-01-10 )

価格:¥ 1,680

単行本 ( 328 ページ )

ISBN-10 : 4255004129

ISBN-13 : 9784255004129




死刑制度「存置」あるいは「廃止」を著者と共に考えぬくための一冊。
存置だろうと廃止だろうと、死刑について徹底的に考え抜いたことがない私にとっては貴重な本である。身内が殺されたらきっと死刑を望むだろう、でも身内が誰かを殺したらきっと死刑を望まないだろう。そんなレベルでしか考えたことがない死刑。

考えても考えても、答えはでてくるかどうか分からない。

そして著者も同じであり、存置か廃止かの意思表明そしてその援護をする本ではなく、共に考えようというスタンスの本。だから読める。

ただ、死刑制度が廃止されようと存置されようとよりよい社会を実現させるための手段であることには変わりない。人が人を殺めることを社会として善とするかどうか、ただその選択だけなのだ。だから、本当は皆が自分で考えるべきなのだ。極刑を死刑としている日本、その国民である以上は決して思考を停止してはいけない、死刑について徹底的に考える必要がある。
しかし、死刑について秘匿されている事実が多すぎて考える材料が少ないのが日本だ。

そんな日本の中で、著者は3年の月日をかけて死刑囚,元刑務官,弁護士,被害者遺族,存置派,廃止派にインタビューしあらゆる感情・情緒をすくいあげていくが、率直に迷っている。焦点が定まらないような迷いではなく、揺りかごのような揺れなのだ。
結局、死刑当事者(遺族、加害者家族、本人、関係者)にでもならない限り、この揺れは収まらないだろう。読み終わっても著者と同じく揺れている。

しかし最後に著者は、揺れが収束するようになる。広島の死刑囚に面会した後の言葉。

「僕は彼を死なせたくない。なぜなら彼を知ったから。会ったから。会って話したから。」


これが本能なのである。副題にあるように、人は人を救いたいのだ。
どれだけ考えても、論理的であろうと、理論に立脚していようとこの問題の根底にあるのは、「感情」なのだ。

この素直な文章に至るまでの葛藤は著者にしか分からない。しかし、この最後の本能剥き出しの言葉は、そのまま受け止めたいと思う。

死刑について答えを求めず考える。この行為を始めるために全ての人が読み始めるべき一冊。








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【書評】ネトゲ廃人-芦崎治

書評

ネトゲ廃人

著者:芦崎治

出版社:リーダーズノート( 2009-05-01 )

価格:¥ 1,365

単行本(ソフトカバー) ( 224 ページ )

ISBN-10 : 4903722163

ISBN-13 : 9784903722160




インターネット・オンラインゲームの世界に深く入り込み自らを「廃人」と称してしまうネットゲーマー19人のインタビュー形式のノンフィクション作品。

著者はノンフィクションライターで、『AERA』『プレジデント』『日経ベンチャー』『アントレ』『ジュディシャルワールド』などに執筆している。

「私が眠るとみんな死んじゃう」


この言葉に表れているのがネトゲ廃人に共通した思いだ。

ネットゲームの世界でも、弱肉強食の論理は通じているがリアルの世界の強者がネットの世界で当てはまるわけではない。ネトゲにどれだけアクセスし続け、ネトゲで経験値を増やすことでネトゲ世界での存在感・強度が増す。つまり、ネトゲ廃人を頂点としたピラミッドでは、頂点に君臨するには廃人化するほどにまでネトゲに没頭するしかない。全てをネトゲに捧げて初めてピラミッドの頂点に立てる。つまり、その他全てを捨てよと。

そうして、全てを捨ててネトゲの神となった者たちが、ネトゲ廃人と呼ばれる。
ネトゲ廃人に共通しているのは衣食住は最低限、ただしネット環境とPC環境は完全整備。

本書は、このネトゲ廃人19人の実態をインタビュー形式で分析する。
ネットゲームに遠い人にとっては、ひとつの病理事例報告に映るだろう。

ネットゲームというものに深く入り込んでしまった人、そして家族の助けで抜け出せた人、過去の自分と対比して廃人から脱却できた人、それぞれのネトゲ人生を赤裸々に告白している。

なぜオンラインゲームにだけ廃人が存在するのだろうか、テレビゲームとの決定的な違いがひとつある。

ネットゲームは基本的に終わりが存在しないということ。テレビゲームのようなオフラインゲームと違い最後のボスを倒すといった明確な目標がない。

ボスは存在しても、次から次へとボスは出てくる。年に何度か新たな要素(レアアイテムやボス追加など)が追加されるため、クリアして終了ということがない。

これがネトゲに一度入ると抜け出せない理由だ。

ネトゲ廃人は一種の引きこもりと同じであり、社会問題に発展する可能性もある。ネット大国の韓国では国家主導でカウンセリング対策が行われているほどだ。


本書は、ネトゲ廃人というものがどういう生活をし、どういう思考になっているか事例として報告されているだけだ。

より社会的な観点からは、ネトゲ廃人を生み出している開発メーカー側の主張や意見を聞いてみたい。この仕組みは、開発元のメーカーだけが儲かるオイシイモデルなのだが、それがネトゲ廃人という社会不適合者を生み出してしまっている。不登校や無断欠勤など社会的に悪影響を与えてしまっているネトゲ廃人をメーカー側はどう考えているのか。

とはいえ、身近な人に存在してもおかしくないネトゲ廃人の実態を知るにはこれしかない一冊。

ネトゲ廃人にならないには、ネトゲをやらないことだ。だめ!ぜったい!ネトゲ!

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【書評】イタリア・マフィア-シルヴィオ ピエルサンティ (著), Silvio Piersanti (原著), 朝田 今日子 (翻訳)

書評

イタリア・マフィア (ちくま新書)

著者:シルヴィオ ピエルサンティ

出版社:筑摩書房( 2007-03 )

価格:¥ 777

新書 ( 237 ページ )

ISBN-10 : 4480063528

ISBN-13 : 9784480063526




マフィアのワルさカッコよさというイメージを一掃させた、イタリア・マフィアの実態を描いた本書。

マフィアといわれて日本人が背筋を凍らせるようなイメージを持っているのだろうか?中国マフィア、アメリカマフィア、ロシアンマフィアなど組織犯罪として固有名詞化しているが、それが自身に関わる恐怖の対象として戦慄きが止まらない人はいない。

一方で、マフィアといえばゴッドファーザーを思い出す日本人は多い。血族、家族、仲間、名誉を守り強固な絆の中で繰り広げられる裏切り、復讐、ファミリーの世代交代を描いたマフィアの映画である。これを観て、マフィアに羨望の眼差しを向けている人も多い。

しかし、本書はそんな生半可なイメージを完全に徹底的に破壊する。マフィアは麻薬、殺人、密輸、密造、恐喝を生業とする犯罪集団であり、歯向かう者には一切容赦しない。マフィアを訴えた人間は必ず殺し、担当した検察官、有罪判決を下した裁判官は報復の対象となる。そして、一度ターゲットとなれば必ず実行される。またそれが、一般市民に見える形で行われるのがマフィアたる所以なのだろう。
イタリア観光名所の要である、ウフィッツィ美術館ですら報復を実行する場所として選ばれる。

まず理解しておかなければならないのは、マフィアは一般市民とは切手も切れない関係であるということ。イタリアの南、シチリア島はイタリア・マフィアの起源と言われているが、海産物や農産物が豊富なシチリアは近隣諸国にとって大きな魅力であり、様々な国に支配され続けた場所であった。

支配国が次々と変わる中で、法律・政府・権威に対してシチリア市民は不信感を募らせる。圧政から逃れようと、彼らは独自の文化を生み出してきた。そこにマフィアが生まれる土壌があったのだ。マフィアは支配国が変わる度に変わる法律の外で独自に紛争を解決しようとし、民営の組織を作った。その組織がマフィアへとつながっていく。

その組織は端的には「民間の警察機関」である。
民事不介入とは違い、民事に積極的に介入する私的な警察組織がマフィアと言えるだろう。
争いごとにはマフィアあり、の社会が成り立つようになり職業としての犯罪集団が生まれるようになった。

争いがなければ民間の警察は運営できないわけだから、当然ながら積極的に争いごとを仕掛けるようになる。それがさらに犯罪を生み出し、負の連鎖が始まる。
壊され続けてきた名誉や安全を守るという大義名分のあるマフィアの暴走は誰にも止めることができない。それは島の人間たちが生み出した組織なのだから。


マフィアの起源の話に逸れたが、現代に戻ろう。
妻や家族には一切手を出さない男の社会とイメージしてきたが、実態はそうではないらしい。むしろ、仲間を裏切れば身内同士で殺し合わせることもあるという。

本書を通じて、そのような「殺人」がどれだけ簡単に行われているかという部分と、なぜマフィアの報復の対象となったのかが克明に描かれている。

マフィアの全貌をつかむことは誰にもできまい。組織が「秘密」とともに拡大してきた手前、どんなマフィアが改心して内部告発したとしても、全容とはいくまい。

本書も同じであり、全容とはいかないがリアルな事実がどっさり詰まっている。ゴッドファーザーでしかマフィアを知らない私にとっては驚愕の事実だらけであった。
マフィアがどれほどまでイタリア社会の中枢にまで入り込んでいるか、マフィア無しには生きられない人間がいかに多いか。

ただ、世論が少しずつ反マフィア、マフィア撲滅に動きつつあり、マフィア構成員に対しての有罪判決が下されるようになってきているというので、いつかはマフィア根絶の日がくるのかもしれない。シチリア市民を守るために出来た組織が、イタリア市民によって壊滅されるのかもしれない。

世界有数の観光地であり、歴史的遺産の多いイタリアの一面を垣間見れる一冊。


あ、日本語訳は誤訳だらけです。お世辞にも上手いといえない翻訳ですので要注意。

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【書評】自殺のコスト-雨宮 処凛

書評

自殺のコスト

著者:雨宮 処凛

出版社:太田出版( 2002-01 )

価格:¥ 1,260

単行本 ( 237 ページ )

ISBN-10 : 4872336445

ISBN-13 : 9784872336443



「後悔だらけの人生で、死んでまで後悔したくない人のための「自殺の費用対効果」バイブル」




とあるが、どちらかというと自殺願望者本人よりも自殺願望がありそうな家族がいる人向けだ。「その後」を考えたくないから、自殺するのであってこの本を読んで自殺を躊躇うことはないだろう。とはいえ、決して本書は自殺を助長・扇動するようなものではない。

本書は、自殺をするという行為(未遂を含め)によって発生するコストを徹底的に洗い出している。
基本経費として、社会保障や年金・生命保険、死後の借金の清算などについて。後半では自殺の手段別(首吊り、薬物)に薬の購入にかかるコストや、事後の補償などについて「この手段で、こう死んだら、誰がいくら払う必要があるよ」と教えてくれる。

本書を読む前には、ただ漠然と新幹線には飛び込んだら賠償責任がありそうだ。病死だろうと自殺だろうと葬儀費用は変わらないだろう。生命保険は自殺者には適用されないんじゃないのだろうか。などと考えていた。

しかし、JRと私鉄では賠償額に大きな開きがあることがわかる。また、自殺者ということで葬儀費用が高額になる場合もあるという。また、生命保険に入った日から2年後の自殺であれば適用されるという。つまり、2年前から保険金目当てで加入する自殺意思の強い者はいないだろうという保険会社の見解だ。

ケーススタディも豊富だ。
賃貸マンションに住んでいた青年、その父が部屋で自殺した。その後半年間、青年は血まみれの部屋に住まわされた。
また、事故死を装って保険金を騙し取ろうとした老夫婦の無駄死になど、これが現実?と思わせるような現実を突きつけられる。

自らの価値がないから、自殺するという人は一度立ち止まって考えてほしい。
どのような死に方だろうと自殺によって遺族は、相当額の出費は免れないということを。


自殺しようとするものはもちろんであるが、一家に一人でいいから本書を読んで家族の自殺を止める原動力になればいいなと思う一冊。

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【書評】そうだったのか!アメリカ-池上 彰

書評

そうだったのか! アメリカ

著者:池上 彰

出版社:ホーム社( 2005-10-20 )

価格:¥ 1,785

単行本 ( 248 ページ )

ISBN-10 : 4834251209

ISBN-13 : 9784834251203





池上彰氏の「そうだったのか!」シリーズのアメリカ編である。
そうだったのか!シリーズには他に現代史・日本現代史・中国などがラインナップされている。元々は単行本であったものを、文庫化したものが本書だ。

池上氏は、NHKの記者からキャスター、ジャーナリストという経歴である。時事ニュースに対してはひとつのポリシーがあり、「難しく思われがちな社会の出来事を、なるべくわかりやすく噛み砕く」というのがそれであり、本書でもそれは貫かれている。

読者対象は、恐らく高校生から読める程度のボキャブラリーであるが、社会人にとっても有益な本であることは間違いない。
毎日、報道されるアメリカのニュースは知っていても「アメリカ」自体を知っている・理解している人は少ないのではないだろうか?
そんな人にとって、アメリカを「宗教国家」「連合国家」「帝国主義国家」「銃を持つ自由の国」「移民の国」「メディア大国」の視点で分かりやすく解説してくれている。

本書だけで、アメリカの専門家になることは出来ないが最初の一歩には最適だろう。

例えば、シュワちゃんこと、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガー氏は大統領には決してなれない。州知事になれる彼が、なぜ大統領にはなれないのか、立候補すらできない。それはアメリカ大統領になるには「アメリカで生まれた」という条件があるからだ。

こんな小さな情報でも、知っているのと知らないのとではニュースの読み方に決定的な差がでるだろう。

また、本書が優れている点はアメリカに対しての感情が表面化されていない点だ。あくまでもアメリカという国を解剖するのが本書の役割であって、客観性が貫かれている。

この手の本は、アメリカに追随するのはイイだのワルイといった主張が根底にあることが多い。しかし、元NHK記者というだけあって、またこども向けのニュース番組をやっていただけあって、主張を強制しない。あくまで中立・客観的である。だから素直に読める。

夏休みが終わる前に、中高生にも読んでもらいたい一冊。

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【書評】論争 若者論-文春新書編集部

書評

論争 若者論 (文春新書)

著者:文春新書編集部

出版社:文藝春秋( 2008-10 )

価格:¥ 777

新書 ( 233 ページ )

ISBN-10 : 4166606654

ISBN-13 : 9784166606658





大人たちは若者をどのように見ているのか、の全体像を把握するにもってこい。

平成不況から脱せぬまま、小泉構造改革以降の格差社会が出現した。働いても働いても「普通の」生活ができないワーキング・プア層が社会に現れ、彼らが若者論の論争の的となった。

「若者論」といわれるとき、若者とは中学生・高校生を対象とすることは少ない。そこにいる若者とは、社会に出たにもかかわらずそれ相当の給与を貰えずワーキングプアと呼ばれるような貧困層であったり、ニート・フリーターといった定職につかない20代の層である。



本書はその彼らにまつわる文藝春秋や論座での論文・討論の中から13本を収録したものである。
年功序列の制度が崩壊し、働き方が自由になりその自由の選択の中での「いまの若者」であるといった一方的な視点ではなく、それは社会が作った貧困層であるという逆の視点もあり、今の若者を知るには非常に有益な本である。

三部構成になった本書には常に2極化されたテーマ論文・討論がピックアップされている。

  • 希望か甘えか
  • 貧困か自由か
  • 絶望か殺人か

  • いくつかの論文をピックアップしてみる。

    第一部
    「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争」赤城智弘


    はフリーター視点での若者論である。あまりにも鮮烈なタイトルで、論争になった。

    月給は10万円強。北関東の実家で暮らしているので生活はなんとかなる。だが、本当は実家などで暮らしたくない。両親とはソリが合わないし、車がないとまともに生活できないような土地柄も嫌いだ。ここにいると、まるで軟禁されているような気分になってくる。できるなら東京の安いアパートでも借りて一人暮らしをしたい。しかし、今の経済状況ではかなわない・30代の男が、自分の生活する場所すら自分で決められない。しかも、この情けない情況すらいつまで続くか分からない。年老いた父親が働けなくなれば、生活の保障はないのだ。



    赤城氏にとっては、自分で生きることができないため親に頼る、そしてその親が働けなくなれば死が近づくという。
    フリーターというエリート層とは対岸にいるものがエリートを超えるには・・
    「戦争で兵役にいけば,フリーターの俺でも東大のエリートをひっぱたくチャンスがある」

    ということだ。平和というものは変化の無さである、穏やかで変わりがないもの。では「勝ち組と負け組」の変わりのない構造をどう打破するのか?それにはひとつ戦争という方法だと。

    未来も希望も失ったものが最後に打破する方法として選んだものが、「希望は、戦争」につながる。

    これはひとつのメッセージとして重く受け止めるべきだろう。


    第二部 新庄、中田はなぜ引退したか 城繁幸

    本論では、昭和的価値観と平成的価値観というふたつの軸をもって新しい価値観に基づいた職業感を提案する。

    昭和的価値観は、端的には年功序列のレールを歩むということ。
    一方の平成的価値観とは、キャリア意識が強く自己実現すべき目標が明確にもっており就職はただの実現のためのツールと考えていること。

    これをタイトルの野球の新庄、サッカーの中田の引退にあてはめると、どちらの価値観に則って生きているのかがわかる。



    これ以外には、秋葉原事件のトピックスなども目立つ。最後にはブックガイドもついており若者論の全体像を把握するには最初の一冊として最適だ。


    若者が読むには、自分たち世代が大人たちからどのように見ているのかを知るために、
    そして大人にとっては、これからの社会を担う20代の若者の目前にあるものは何か、を知るための1冊。



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    【書評】絶対貧困-石井光太


    絶対貧困

    石井光太氏は、アジアの貧困を主に扱う作家である。今回の絶対貧困もタイトルから分かるように、アジアの貧困社会を深く抉った著者である。

    よくあるようなドキュメンタリーの暗く重苦しい作品とは違って、石井氏の実体験をもとにした貧困ってなぁに?貧困の実態ってなぁに?に答える授業形式である。
    だからおもしろい。だから本来であればもっともっと暗く、ダークに描くことができる出来事も、読者は目を背けずに真正面から受け止めることができる。
    そうさせているのは、スラム街に潜入・滞在し、彼らに受け入れられてきた石井氏の人柄なんだと思う。それが文章全体に漂っている。

    また著者は、貧困を悲惨で残酷で負のものであるというステレオタイプな考え方ではなく、読者が見ている貧困は貧困の一部分であり、貧困層(スラム街に住む人々)の中にもそれぞれの人生が豊富にあるということを教えてくれる。
    例えば、彼らにも恋愛があり、セックスがあり、出産がある。スラム街のどこでどうやって出会い、どんな場所で恋人同士はすごし、どこで出産するのか、ものすごくリアルに描写されている。それも、実体験の中で見てきたというのだからこれ以上のノンフィクションはない。

    ただ、どれもこれも気軽に読めるスラム街話だけではない。例えば、テレビで見るスラム街との違いを教えてくれる一文を引用する。メディアを鵜呑みにしてはいけないこを痛感させられる。

    日本の撮影クルーはスラムの子供がゴミ拾いをして生活している光景を映して「貧困の中でも明るく元気で生きるたくましい子供たち」というテーマを形にしようとしていました。
    さて、そんなスラムの子供の中に、メイちゃんという十歳の女の子がいました。メイちゃんは病気の父親と二人で暮らしていました。母親も兄弟もいなかったのです。家計は彼女が廃品回収で稼ぐお金でなんとか成り立っていました。撮影クルーは彼女がゴミの山の中でたくましく生きる姿を追っていました。
    ある時、ディレクターがメイちゃんにマイクを向けて、「どうしてそんなに明るく生きていけるのかな」と尋ねました。彼女はこう答えました。
    「仕事は大変だよ。けど、悲しんでいても生きていけないよ。だから、今を笑って生きたいの」
    ディレクターはこのセリフにしてやったりの笑顔を浮かべました。番組でつかえると思ったのでしょう。まさにテレビ番組の典型のようなシーンとセリフです。
    (中略)
    私は撮影クルーが帰った後も、そのスラムに残りました。別に調べたいことがあって残ったのです。一週間、二週間と暮らしているとメイちゃんの家庭の別の側面が見えてきました。
    それは毎晩十時過ぎに起きました。寝静まると、どこからともなく中年女性が髪をふり乱してやってきて、メイちゃんの暮らす粗末なバラックの壁を棒でもって叩くのです。大きな石を投げ込んだり、火をつけたりしようとしたこともありました。その度に、近隣の住人が駆けつけ、彼女を殴りつけて追い返します。ひどい時には、血がでるまで殴りつづけることもありました。
    最初、私は中年女性をスラムに暮らす知的障害者だと思っていました。ところが、ある日メイちゃんからこんなことを言われたのです。
    「あの女性は、わたしのお母さんなの。お母さんは十人ぐらい子供を産んだんだけど、わたし以外はみんな死んでしまったの。お母さんはそのせいでおかしくなって、わたしのことを『魔女』だって言いはじめたの。わたしが赤子の生気を吸い取っているから、赤子が死んじゃうんだっていうのよ。お父さんは怒って変になったお母さんを追い出したわ。けど、お母さんはわたしを殺せば他の子供が蘇ると思っていて、毎晩実家を脱走しては殺しに来るの」
     メイちゃんの母親は、赤子が立てつづけに死んでしまったため精神に障害をきたしてしまったのでしょう。お腹を痛めた子が十人もつづけて目の前で死んでいったら、そうならない方が変なのかもしれません。それですべてをメイちゃんのせいにして毎晩襲い掛かってきていたのです。
     私たちがテレビで見る「笑顔」も一つの現実です。しかし、メイちゃんの笑顔の下には、何人もの兄弟の死と母親の狂気があるのです。


    このエピソードから分かるように、メディアに取り上げられるスラム街は「絵」になる部分だけ。本当に直視しなければならないのは、本書にあるようなリアルな絶対貧困層であろう。
    ちなみに、絶対貧困とは1日1ドル以下の生活費で生活している人々を指している。

    本書全体を通じて恋愛・人生・仕事のような人間に普遍的な部分を多く取り上げており、先進国でのそれとの比較がしやすく、生活の一部始終が手に取るように分かる。

    本書を読んでスラム街の人々に対して、「へぇ、やっぱり同じ人間なんだなぁ。セックスもそホテルかそれ以外か、そして出産も病院なのかそれ以外か場所が違うだけ。やっていることは同じ。ビジネスだけは仕入れるものがないから人間を商品として仕入れる。そこは違うけど、なんだか親近感が沸いてきた」というのが率直な感想。

    今まで圧倒的な他者という目線だったのが、読み終わりは親近感。この本、悪くない。

    ただ、ドキュメンタリーかつ1人の視点での作品であるため、実体験日記という枠組みを超えることはない。スラム街の概論であったり、マクロ視点での言及は少ない。
    よって、ある一人の作家の実体験日記(しかもライトでポップ)であることを念頭において読んでもらいたい。



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