- 2011-05-23
- 論評
日経デジタルマーケティングの5月23日の記事内に、「世相反映するツイッターに見る「自粛」から「復興」へのうねり」という記事があった。
世相反映するツイッターに見る「自粛」から「復興」へのうねり
ツイッター(Twitter)というミニブログを使ったコミュニケーションが震災直後に効果的だったことはよく知られたことだ。通信キャリアが回線パンクを回避するために、通信量を制限していたためほとんどの人が100回かけてつながるかどうか(70-90%カットしていた)の最中、Twitterを筆頭にオンラインコミュニケーションサービスはコミュニケーション手段として大いに役立った。
その影響もあって、Twitterはユーザー数を増やしており、著名人のアカウントも目立つようになった。
Twitterは、OnetoOneのコミュニケーションではなく、情報が拡散するところが目新しさがある。このブログ記事のようなものは、1人の投稿者と複数人の読者がいるが関係性は1:1である。一方のTwitterは、つぶやく1人は変わりないが、その情報伝播の力はブログよりも優れている。
さて、前置きが長くなったが、このTwitterによる震災後のつぶやき・投稿数の推移を分析したのが、記事の内容。
端的には、自粛というのが一時の盛り上がりを見せてその後は衰退するワードである一方で、その後盛り上がったのが復興というキーワードだったということ。それがまさに世相なんだと。
震災直後からツイッター上でも広がった自粛ムードは4月の1週目(4月1~7日)をピークに急速に沈静化。一方で復興機運はその後も高く、4月の3週目(4月15~21日)に震災後のピークを迎えた――。
この記事に気になる点があるとすれば、バイアス(偏り)があることだ。
- 全ての投稿が肯定的とは限らない
- 大きな事件や問題の後追いに過ぎない投稿も多い(つまり自己発信とは限らない)
自粛から復興へという流れは、何となく気持ちよく飲み込める話ではある。しかし、それが国民全体の中での共通理解なのかは、別問題だ。自粛をしないというよりは、自粛をしなくても大丈夫かな?という程度で、脱自粛への道を何とか歩いているのが大半ではないだろうか。
それに、自粛→復興へのステップには大きな障壁がある。それは、自粛は自分で何かを制限すれば成り立つが、復興には何かしらのアクションが必要だからだ。それは何かを制限するというだけではないし、加えて復興の当事者は被災地の方々だからだ。
自粛の投稿が減った、だから復興が増えたという因果関係は、ない。
それは、復興という投稿自体が減少傾向にあるのが、如実に物語っており、ツイッターだけではなく、ウェブサイト全体にも当てはまる。
これを見る限り、むしろTwitterとウェブ検索は若干のタイムラグはありつつも、ほぼ同じ傾向を辿っている。
全体の傾向としては、4月上旬をひとつの山としたら、あとは減少傾向にあるのだ。
きっと、もう自粛や復興というキャッチフレーズを声を大にする必要もなく、前進するのみだと、そう国民が決意したに違いない。

